【90】 京都の秋 2005 その3                2005.11.30


     2日目  金福寺〜詩仙堂〜圓光寺〜曼殊院 … 午後 帰津



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  〜嵐峡館〜大悲閣〜亀山公演〜大河内山荘〜清滝〜水尾〜先斗町、泊   その2


第2日目 12月1日


 朝食をホテルで済ませて、午前8時15分出発。今日は午前中に一乗寺の詩仙堂や曼殊院の辺りを歩き、お昼過ぎに京都をあとにして、津に帰るつもりだ。金福寺 僧房横の大モミジ


 まず、松尾芭蕉、与謝蕪村ゆかりの金福寺(こんぷくじ)へ向かう。まだ開門の9時になっていないからか、人出は少なく、10数台ぐらいしか停められない駐車場に入ることができた。
 しばし待って開門。石段を登って小さな門をくぐると、僧房横の大きなモミジが朝日を浴びて色鮮やかに出迎えてくれた。
 金福寺は、平安時代に創建、もと天台宗の寺院であったが、一時荒廃。江戸中期に圓光寺の鉄舟和尚が再興し、臨済宗南禅寺派の寺となった。鉄舟は松尾芭蕉と親交が深く芭蕉庵を建てたが、これも荒廃。のちに与謝蕪村が再興した。
 幕末、井伊直弼の愛人村山たか女(第1回NHK大河ドラマ「花の生涯」(作・舟橋聖一)のヒ
京都の紅葉 2005 金福寺芭蕉庵
金福寺芭蕉庵
ロイン…淡島千景が演じたンだったっけ)は、文久2(1862)年、金福寺に入って、尼として14年間を過ごし、この寺で生涯を終えた。


 「うき我を さびしがらせよ 閑古鳥」 (芭蕉)


 この寺の裏山…、蕪村、たか女をはじめ多くの文人墨客が眠っている墓地は高台になっていて、京都の市内が一望される。


 次の目的地「詩仙堂」までは数百メートルの距離。車を、このまま金福寺の駐車場へ置かせてもらおうかと思ったのだけれど、あまり広くないからすぐに溢れそうで、それでは申し訳ないから、詩仙堂近くのパーキングへ入れ、そこから歩くことにした。

京都の秋2005 詩仙堂
 「詩仙堂」は、大阪夏の陣で抜け駆けをしたとして、軍律違反の罪に問われた徳川家康の家臣石川丈山が、寛永18(1641)年に造営し31年間隠棲した庵である。現在は丈山寺という曹洞宗の禅寺だが、狩野探幽による中国36詩仙の画を掲げた詩仙の間にちなんで、「詩仙堂」と呼京都の秋2005ばれている。
 丈山は90歳で没するまで、ここで清貧を旨とし、聖賢の教えを実として、風雅の道を楽しんだという。金銭物欲を離れた生き方があるように思い、僕も清雅に生きる決意を固めようと京都の紅葉 2005したのだけれど、誰かが「名園を造るカネはどうするんだ」と言ったので、夢から覚めたような気持ちになった。



            落葉の絨毯 →






 詩仙堂から更に数百歩、慶長6(1601)年、徳川家康が学問所として伏見に建立し、圓光寺学校としたのが起こりとされる「圓光寺」がある。多くの僧が圓光寺僧房ここで学問を修め、寺に伝わる木版活字約5万字の「孔子家語」版木は重要文化財に指定されている。
 寛文7年(1667)年、現在地に移転。明治以降、最近までは臨済宗の尼寺であり、今は南禅寺派の修験道場になっている。運慶作と伝わる千手観音像をはじめ、円山応挙作の「竹林図屏風」などの寺宝も多く、洛北ではもっとも古いとされる栖龍池(せいりゅうち)がある庭園は、十牛の庭と名づけられている。
 庭の名前の由来は、中国の宋の時代に廓庵禅師が作った禅の手京都の秋2005引き書「十牛図」。さまざまな姿勢の10頭の牛が描かれていて、禅宗の修行の過程を牛になぞらえているという。
 例えば、第1図は「尋牛」といい、牛を見失って途方に暮れて草むらを歩いている人の姿が描かれているが、これは自己を見失いあてもなく迷っていることを示しているとか。
 十牛の庭には、さまざまな形の10個の石が置かれていて、もちろん十牛図の10頭の牛を表しているわけだが、どれがどの牛かはサッパリわからなかった。京都の秋2005 圓光寺 十牛の庭
 「十牛図」(模写だと思う)は、本堂にかかっているから、また観光客が少ない時季に来て、じっくりと見てみよう。
 本堂前に水琴窟があって、紅葉のなかで妙音を聞くことができた。


← 10個の、牛に見立てた石が配されている



 圓光寺を出てから北隣の西圓寺の境内を抜け、北白川の住宅地をブラブラと歩いていくと、10分足らずで「曼殊院」に着く。
 ここ曼殊院は、最澄が比叡山に築いた道場に起源を持つとされているが、平安時代に曼殊院と改名、江戸時代の明暦2(1656)年に良尚親王が、この地に改めて移築造営した。皇族が住職を勤めた寺だから当然門跡寺院で、勅使門には門跡であることを示す五本の白線がある。京都の秋2005 曼殊院勅使門付近の大モミジ
 
京都の秋2005 曼殊院参道

← 勅使門横の大モミジ



     参道は 紅葉のアーチ →



 良尚親王は、桂離宮の造営で知られる智仁親王の次男だから、曼殊院も桂離宮の美意識の流れを汲んで、江戸時代初期の代表的な書院建築である。大書院を舟、白砂を水の流れにみたて、静かに水面に浮かぶ大舟を表現した庭は、遠州好みの枯山水。鶴をかたどった五葉の松、ふくろう京都の秋2005 曼殊院の手水鉢の台石は亀を擬している。
 寺の所蔵物も、狩野永徳の虎の間の襖絵や、わが国最初の版画とされる竹の間の壁紙など、素晴らしいものがたくさんあるが、中でも藤原俊成筆と伝えられる古今和歌集(国宝)は感動ものであった。


← 山門横の白壁と紅葉


 そろそろ帰らなければならない時間だ。途中で食事を取ったりしながら、休憩を入れて帰ることにしよう。




 今年は11月に入ってからも暖かい日が続いていて、全国的に紅葉が遅れているとは聞いていたのだが、12月をまたいで訪れた京都だったので、時期的にはちょっと遅いかなと思いながらの訪京であった。
 確かに少し盛りは過ぎていて、訪ねたところはどこも、落ち葉の絨毯を踏んでの探索であったけれど、それはそれで往く秋の風情があり、錦繍の京都を堪能した旅であった。




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